水の中で暮らしている

水面を見ている

【雑話】痛みのフォルダ

 たまに、何の前触れもなく自分の指を包丁で切り落とす想像をしてしまう。潔く一刀両断するのではなく、丁寧に、肉と骨の層を愛でるように、指に刃を沈める想像だ。趣味が悪い。

 文字通り私の手を離れた指先と、机の木目に流れ込む鮮血がただ映し出される。耐えられなくなった私はスクリーンをかき乱すように大きく首を振って目の前の手に焦点を当てる。確かめるように現実の指をなぞり、喉の奥から溢れてくるものを押し戻す。

 なぜこんな想像が不意に訪れるのか、皆目見当もつかない。リストカットの類を私はしたことがないし、するつもりもない。自傷願望はない、と、思う。自分のことが何も分からないので何も断言できない。

 それでも痛みに謎の魔力があるのはなんとなく理解できる。痛みを感じた時、身体は自身のかなり深いところまでその感覚を記録している気がする。単なる防衛本能とかそういうやつかもしれないけれど、簡単に想像できてしまうほどに、痛みを特別な拡張子で保存して特別なフォルダに大事にしまっている。私には愛とかはよく分からないが、愛してる人に首を絞められたいという気持ちはなんとなくわかる気がする。指輪の刻印とかそういうのと似たもので、愛してる人に痛みを刻まれたいと思うのかもしれない。知らんけど(万能接尾句)

 それでも切り傷は嫌いだ。切り傷はなんかほら、他と違ってほら……なんか違うじゃん(素)

 絶対に切られたくない。だってずっと痛いじゃん。切られた時も痛いし、触ると痛いし、動かすと痛いし、シャワー浴びると痛い。痛みがずーーーーーーーっと高めを維持しやがる。

 あ、そっか、新鮮な痛みが続くのが嫌なのかもしれない。なんか最初の痛みが更新され続ける感覚が嫌いだ。めっちゃ嫌。絶対に切らせないからな。切られることないと思うけど。

 

 文字に起こしてみると、切り傷のことをかなり嫌っていることを再認識できた。怖すぎて逆に切り落とされる想像をしちゃうのも納得だ。

 新鮮な痛みを毎秒お届けされる切り傷への恐怖は、私が抱く希死念慮とは対極にあるのだろう。解放されない恐怖を前に、脳を誤魔化しているのかもしれない。

 これはきっとイマジナリー自傷行為だ。